1、はじめに


 天皇陛下のご旅行を行幸といい陸路が主であった。
 多くは馬を使用し、やがて幌付き馬車になり明治5年鉄道開通後はこれが用いられた。海路は、前者に比べ距離の短縮と経済的負担が少なく艦船を用いたが、天候に左右され安全面で劣る欠点があった。昭和29年8月からご利用の航空機も天候条件は同様である。

  お召列車の運転は、明治5年10月14日新橋・横濱間開通式に明治天皇が行幸されたのが最初だと、一般にいわれている。戦前 (大東亜戦争) の記録はそのほとんどを焼失して、国鉄にはあまり残っていない。

 宮内庁の公文書庫に保管されている明治の行幸記録によると、行幸日誌に明治5年7月12日、明治天皇が試運転中の仮営業列車にご乗車になった事が記されている。関係資料を調べたところ石井満氏が、雑誌 「新旧時代 」大正15年12月号で手がかりをつかみ当時の新聞などで裏付けを得て次ぎのように述べている。

 「明治5年5月23日お召艦 (竜驤) にお乗りになって鳥羽、大阪、神戸、鞆津、馬関、長崎、熊本、鹿児島をご巡幸になった。歴史書によると廃藩置県に続く諸制度の改革が、士族の動揺を来しているのでこれを静める目的で行幸になったようである。

 この軍艦は、英国製で2,530トンの装甲艦で艦長は伊東祐磨大佐が乗船し、第2丁卯艦が御先導、日進、鳳翔、雲揚、孟春、筑波,春日、有功の7艦が供奉艦として同行した。7月12日還幸の途中暴風にあい、東京湾の波が非常に高いので止むなく横濱にご入港、直ちに上陸し神奈川県庁までご歩行 になりご休憩の後17時に県庁用の馬車で同庁発横濱駅においでになった。お召列車は18時8分に発車し19時15分品川駅に到着。天皇陛下は馬車にて宮城へ還幸になった。」


とある。従ってこの時が最初のお召列車運転になる。

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