4、千本鳥居から熊鷹社・四辻
奥宮の右手から千本鳥居の入り口へ進み、
石畳をしばらく行くと鳥居はだんだん小さくなり
2筋に分かれる所まで来ると一定の大きさになる。
千本鳥居入り口
中で二手に分かれる
どちらを進んでも、出口は奥の院妙婦社の前に出る。
奥の院妙婦社
社の右奥には、後醍醐天皇の歌碑と「重かる石」の灯篭がある。
重かる石の灯篭
頭の部分を持ち上げて重量感が軽ければ願い事が叶い、
重ければ叶わないという一種の神占い石である。
奥の院を出て10米も行くと左に社があり、
境内に霊木の「根上がり松」の根っこが左右に2本出ている。
根あがり松
根あがり松社
コンクリ−トを流し込んで作ったものだが、これを潜り抜けると
神経痛や肩こりに効き目があると人気がある。
また根上がりが株の値上がりに通ずると株売買の信者が多いという。
ここから先の鳥居の間から見え隠れする景色はとても美しい。
石段を登ると水商売の信者が多い「熊鷹社」で、
薄暗い境内には、大きな蝋燭が立ち黒い煙をあげていた。
熊鷹社境内
付近は、やたらと塚の石碑郡が目に入る。
この社の背後には新池がある。
新池
新池と言うのは北方300米の所にある古池に対するもので、
慶長8年(1603)農業用水源として修築され、
またの名前を [ こだま池 」と言う。
池に向かって柏手を打ち、こだまが帰ってきた方向に願いが叶うと伝えられ、
尋ね人を探している人がよく来るそうだ。ここから鳥居の下の坂道を登ると、
お産場稲荷社から来る参道と交わる三つ辻に出る。
三つ辻
しばらく400の石段が続き、三徳社を経て四つ辻に出る。
石段坂道参道
三徳社
急に視界が開け京都市内や伏見の街を遠望し、
茶店があって軽食をとる事ができ、かっこうの小休止場所である。
四つ辻から市内展望
清少納言(966-1025)が、枕草子で「険しい道でダウンした」
と言っているのは、この当たりではないかと思う。
巨大ビルがない終戦直後の晴れ日は、望遠鏡で大阪城が見られたという。
伏見城と大阪城が通信連絡をしたと言う事はうなづける話しである。