2、特質のあるお召列車と関係記録

(3)昭和時代

@大正天皇霊柩列車

 大正天皇は、大正15年12月25日1時25分葉山御用邸において崩御された。
 御容体が最悪期に入った20日からは東京・逗子間1日30本のお召列車運転時刻を計画し、いつでも2時間以内に運転できるよう準備を整えていた。11月13日から緊急時に備え5両編成1本を東京駅に滞泊させた。宮内省の照会があり、15日から大井工場で御料車3号の霊柩車改造に着手27日に完成した。

 霊柩列車の編成は、逗子発前頭ナロハニ・ナイロ・ホイエ・霊柩車・御料車・ナイロ・ナイロ・ナロハニの8両で12月27日17時35分発原宿19時5分着であった。お召列車は同日逗子15時20分発東京16時35分着。大喪列車は、先発供奉列車・霊柩列車・後発供奉列車の3個列車とし、霊柩列車は2月8日新宿御苑0時15分発東浅川1時35分着の編成は9両であった。供奉列車の先発7両後発6両で運転した。

 天皇陛下の御名代として秩父宮親王殿下、ほか高松宮殿下を含め皇族11名と朝鮮王族二殿下が御乗車になった。また葬場殿の御儀式に合わせて2月7日23時を期し1分間全列車・船舶・自動車は停止し慶弔の意を表した。

この時の恩赦で免職673名・減給3,251名・その他7,674名が免除された。

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