2、特質のあるお召列車と関係記録

F新幹線のお召列車
 
  昭和39年10月1日東海道新幹線が開通した。
 この日国鉄本社で天皇・皇后両陛下をお迎えし10時10分から盛大に開業式が行われた。半年後の昭和40年5月7日鳥取県下で行われる植樹行事に新幹線のお召列車が運転した。新幹線には、専用の御料車がないので営業用の車両8両編成であった。

  時刻は東京9時30分発新大阪13時30分着。新大阪から在来線を、お召し1号編成で岡山16時に御到着になった。このとき両陛下は、浜松・豊橋間運転台に御乗車になり見学された。新幹線は、高速と専用御料車でないため御紋章と前頭の国旗は掲出していない。ただ規程にはないが、前頭に白色テ−プを使用し矢印の表示をつけた。これも数年で必要度が下がり廃止された。

  2回目目は、昭和41年4月15日四国地方へ行幸啓になったときである。東京11時30分発新大阪14時40分着、新大阪から1号編成で岡山17時15分御到着。四国へは、関西汽船会社の船を御利用になり23日新大阪13時30分発、東京16時40分着の新幹線で還幸啓になった。編成は12両で使用されたのは5・6・7・8・9号車で7号車が御料車になった。

 3回目は、昭和42年4月7日岡山県下の植樹行事へ御臨場のときである。かねて石田国鉄総裁が、新幹線のお召列車は専用列車でなく一部使用の混乗列車は如何ですか、と進言していたので編成を組替え、12両の内5両を使用し他の7両は一般客が使用する事になった。

 昭和42年3月31日夕刻東京駅八重洲中央、新幹線切符売り場で手製爆弾が投げ込まれ18名が重軽傷を負う事故、また昭和42年4月15日ひかり21号の7号車 (1等車 ) 16番D座席に、ダイナマイト3本と雷管3本を仕込んだ時限爆弾が発見され関係者は混乗対策に追われた。

 在来線の混乗は多いが、最近では両陛下が昭和38年9月16日池田夫人(第4皇女)御見舞いのため大阪・岡山間3D列車に御乗車、昭和39年2月25日同じ目的で皇后陛下が東京・岡山間2001M列車に御乗車になった。

 思えば明治元年9月20日天皇は、岩倉具視以下供奉員二千余を従え京都を出発10月13日江戸城へ入り(24日間)徳川慶喜を隠居謹慎・会津藩の松平容保は死一等を減じ永禁錮を決めた後、12月8日東京を出発22日京都に御到着になった。(15日間)東京・京都間の行幸は、東海道線開通後の明治24年5月12日15時間10分、昭和17年12月11日8時間10分、平成時代の新幹線は2時間10分台である。

ホームへ / 戻る / 次へ