2、特質のあるお召列車と関係記録
(1)明治時代
@新橋・横濱間開通式当日のお召列車
開通式のお召列車は10両編成で、機関士は英国人のトーマス・ハ−ト、機関助士がダンカン・グレーであった。御料車は前から3両目に連結され、次ぎの車両に有栖川宮・三条太政大臣・井上鉄道頭が
供奉しその後方に西郷隆盛・大熊重信・板垣退助・イタリア・フランス・アメリカ・オ−ストリアの各大使 が、5両目には江藤新平・勝海舟・黒田清隆・山形有朋・土方文元・ロシア・イギリス・オランダの各大使が供奉した。なお琉球王子とその重臣も供奉していた。
明治5年12月末の車両数は、四輪連結タンク機関車10両、客車58両、貨車75両で客車の定員は上等車18人、中等車22人、下等車30から36人、貨車は有がい車5トン、無がい車6トン積みであった。
御料車を特別に制作していないので、当時は一般の上等車をご使用になった。専用の御料車をご使用になったお召列車は、明治10年2月5日京都・神戸間鉄道開通式挙行の際行幸になった時からである。
新橋・横濱間開通式当日の状況を日本鉄道史でみると
「明治5年9月12日 (明治5年11月19日太陽暦採用12月3日を明治6年1月1日とした。) 開業式挙行につき新橋・横濱両停車場へ臨御仰出さる。初是月9日を以て挙行の筈なりしが雨天の為延引せられたり、12日諸官員に休暇を賜ひ鉄道寮は品川・横濱間の列車を休止す。
当日天皇直衣を召させられ、四頭の馬車に御乗午前9字御出門あらせられ東京府知事代理権参事川勝広一騎馬にて先導し皇族、太政大臣、参議、各郷以下皆直衣にて供奉し陸軍諸兵路上に整列す、新橋鉄道館においては国旗を掲揚し山尾工部少輔、井上鉄道頭以下奉迎し館内に入御、勅任官、琉球公子、各国公使等に謁を賜ひ鉄道頭は鉄道図一巻を奉献す。
似て列車に乗御、第10字御発車あり、此際近衛兵は日比谷操練場に於て祝砲百一発、品川碇泊の艦は賀砲二十一発を発す。第11字横濱鉄道館に御着、此際亦祝砲あり、諸員奉迎拝礼し便殿の御椅子に着かせられ供奉諸員、神奈川権令、各国領事等竝列す、此のとき中外衆庶へ下の勅語を賜う。
新橋・横濱間ノ鉄道朕親ラ開行ス自今此便利ニヨリ貿易富盛ニ至ランコトヲ望ム、式終了還幸あらせられる。奉送は奉迎のときの如し。」
と当時の様子を説明している。
今日祝祭日に国旗を掲げるがこの始まりは鉄道開通式だと言われている。開通式の勅語が、ニ案あった事はあまり知られていないが、いずれも鉄道記念物に指定され総裁室文書課に保存されている。
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