2、特質のあるお召列車と関係記録

B半日で計画し運転したお召列車

 明治24年5月9日、ロシアのニコラス皇太子殿下は軍艦マゾヴア号で神戸港に入り、神戸駅16時発の臨時列車で京都に向かった。16時30分発の計画だったが、船が早く着き変更したものである。京都で2日滞在の後ギリシャ皇子ジョ−ジ親王と共に11日の朝、有栖川宮威仁親王のご案内で大津へ行った。

 滋賀県庁で昼食を済ませ13時30分出発帰京の途中、警備についていた守山警察署勤務の津田三蔵巡査に、サ−ベルで頭部こめかみを切りつけられ長さ9センチの傷を負った事件があった。事件の様子は14時に内閣へ報告され閣僚は勿論天皇陛下がお見舞いに神戸へ行幸される事になった。
とりあえず御料馬車二両、臣下馬車一両、乗馬9頭を11日15時15分新橋発で京都へ輸送、お召列車は12日新橋6時30分発、京都21時40分着の時刻で運転した。

 政府はロシアにメンツ上犯人を死刑にすべしと司法へ圧力をかけたが、大審院長児島惟謙は独立国の法を守るため条文通り無期懲役にした。当時のロシアは、国運隆々で清国からシベリア全土を領有、トルコ・ポ−ランドを手中にせんばかりの勢いだったのに対し、日本は陸軍六個師団しかなく戦闘能力のある軍艦はゼロの状態で苦しい立場であった。

 津田巡査は伊賀上野の士族で曹長で除隊し警察官になったが、ロシアの日本に対する態度に不満を持っていた。明治24年6月神戸から船で釧路に送られ同年9月獄中で死亡、37歳だった。
事件の時巡査を取り押さえた二人の車夫は、国難を救った英雄ともてはやされ、ロシア皇帝から勲章と終身年金1,000円、一時金2,500円を贈られ、日本政府から勲八等年金36円を下賜された。のちに一人は酒と女と賭博で総てを失い、他は故郷で県会議員になった。知事と県警本部長は免官となった。

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